町工場のオハナシ

はじめに

弊社代表の松本がコラム形式で綴ります。
あくまでも私個人の意見を書き連ねているだけですので、予めご了承ください。


町工場って何?

弊社は東京都練馬区にある水道配管部品製造の町工場です。
「マチコウバ?」
要は小規模経営の小さな工場です。
東京都大田区の町工場とかが有名ですが、大阪にも名古屋にも日本全国に数多くの町工場が存在しています。


町工場のメリットとデメリット

大企業の大工場と比較すると、いろいろなメリットとデメリットがあります。
まずはメリットの一部を簡単に紹介します。

なんと言ってもクオリティの高さでしょう。
町工場では基本的に職人が手作りでモノづくりをしています。
手作りといっても完全な手作業という意味ではなく、コンピュータ制御の機械のプログラム作りも手作りの定義に含めます。
基本的にまじめで勤勉な日本人による手作りですから、必然的にクオリティは高くなります。

他には融通が利くなんてメリットもあります。
規模や機械類が小さいので、小回りも利く。
荷物の配送に例えると、都内では大型トラックよりも軽トラの方が向いている。
オフィスや住宅が密集した地域ではバイクの方が向いている。
さらに細かい路地などは人力の台車の方が向いているといったイメージです。
「こんな物を作って欲しい」とか「ここがもうちょっとこうだったらいいんだけど」なんて言う要望にも、小さな町工場だからこそ柔軟に対応することができます。

もちろんデメリットもあります。
一番に挙げられるデメリットはコストの高さです。
人件費が高い日本での手作りですから、必然的にコストが高くつきます。
また、町工場で使われている工作機械は比較的小型のものが多く、結果的に生産効率は下がります。
効率の悪さもコストの高さに反映されてしまいます。


町工場の重要性

でも、実は町工場って意外と大切なんです。
町工場が日本の製造業を下支えしています。
町工場なくしてクルマは作れない。
地下鉄は作れない。
新幹線も作れない。
家は建たない。
ビルも建たない。
飛行機が作れない。
ロケットも作れない。

町工場がなくなると日本の製造業は衰退の一途をたどることが懸念されます。
「でかい会社のでかい工場があれば、町工場とかいらなくねえ?」
なんて声も聞こえてきそうですが、大企業の大工場にないものが町工場にはあるんです。


町工場離れと後継者問題

町工場の良いところと言えば、なんと言っても熟練の職人技。
一途にその道を地道に歩んできた職人の技は一朝一夕に完成するものではありません。
職人技は日本の宝なんです。
高度成長期の金の卵が日本の宝になったという訳です。
職人技が後世に脈々と受け継がれていけば良いのですが、今のご時世、そうそううまくはいかないものです。
職人技が受け継がれない場合、その技は一代でこの世の中から消滅してしまいます。
大切な大切な日本の宝が息絶えてしまいます。

「町工場で働きたいか?」「親の町工場を継ぎたいか?」
既存の概念では、町工場はっきり言って人気の就職先とは言えないと断言できます。
いわゆる3Kの職種だからです。
上場企業への就職や公務員を志すのはごもっともです。
ベンチャーに限っても、IT系のおしゃれなオフィスで働きたいというのは十分にうなづけます。
なんで人気がないのか?
理由は、それが昔ながらの町工場だからです。


昔ながらの町工場の分析

昔ながらの町工場がそのままのスタイルである限り、企業として生き残るのは容易ではありません。
軽く列挙するだけでも下記のマイナス要素が考えられます。

・設備の老朽化に伴うマイナス要素

「相対的生産性の低下」
設備が古いので、新しい設備を導入しているライバル会社や大手企業と比較して、相対的な生産能力が劣ってしまうというマイナス要素です。

「価格競争力の低下」
相対的生産性が低いので、同じ製品を生産する場合であっても、相対的に製造単価があがり、納品単価を下げることもできず、結果として価格競争に負けてしまうというマイナス要素です。

「相対的商品価値の低下」
設備が古いので、新しい設備を導入しているライバル会社や大手企業と比較して、近似手順で生産した場合に製品の出来映えが劣ってしまうというマイナス要素です。

・経営者の高齢化に伴うマイナス要素

「IT環境適応能力の低下」
経営者が高齢なため、日々刻々と進化し続けるIT環境に対応できず、時代に取り残されてしまうというマイナス要素です。

「市場環境順応能力の低下」
IT環境適応能力が低いので、情報収集能力に欠け、市場環境の変化に対してスピーディな対応ができないというマイナス要素です。

「商品開発力の低下」
経営者が高齢なため、商品開発に対する意欲がなくなり、いままで作ってきた製品だけを作り続ける現状維持に帰結してしまうというマイナス要素です。

「商品魅力度の低下」
経営者のセンスが古いため、今どきのキャッチーな商品を開発することができず、新しい会社や大手企業の新商品に負けてしまうというマイナス要素です。

「設備投資意欲の低下」
経営者の商品開発に対する意欲がなくっていることに連動して、設備投資への意欲もなくなり、古い設備の現状維持に帰結してしまうというマイナス要素です。

「海外製品の流入による価格競争への単純な敗北」
経営者のアタマが堅く、情報発信能力に欠けているため、品質やサービス等を武器にした価格以外の付加価値をアピールできず、単純に価格競争に敗北し、撤退してしまうというマイナス要素です。

「経営能力の低下」
経営者のアタマが堅いため、既存の経営スタイルを維持することにこだわり続け、アグレッシブな経営戦略を新構築することができないというマイナス要素です。

これらの要素は各要素がリンクして相互に作用し、トータルで見た場合の総合的なマイナス要素は乗算的に増大したものになります。
設備の老朽化の主な要因は経営者の高齢化に伴う設備投資意欲の低下と資金不足です。
経営者の高齢化に伴って、金融機関の貸し渋りとの相互作用で、運用資金の調達も困難になってくる。
つまり、設備も会社も経営者もすべて連動して老いていくことになります。
大企業であれば、それぞれのマイナス要素を各部課の社員が力を合わせてフォローし、部分再生が行われていくことにより、企業全体で見ればフレッシュな状態をキープすることができます。
ところが、小規模な町工場ではすべてが経営者の手腕に一任されており、経営者次第ではこれらのマイナス要素がそのままダイレクトに作用します。
総合的に肥大化したマイナス要素は結果的に資金繰りを悪化させ、有用人材確保問題や後継者問題と融合し、最終的には廃業に追い込まれるという悪いシナリオが、日本全国津々浦々の町工場に起こっているという現実です。

この負のスパイラルを脱却するには、画期的な打開策を見いだす必要性があります。
デフレ脱却で日本の景気を良くするなんて言う、政府主導の金融政策任せじゃダメなんです。
日本経済を陰で支えてきた町工場がこの有り様では、景気が良くなるはずがありません。


町工場の歴史

かつて1970年代の日本の高度経済成長は製造業が主軸を担ってきました。
群を抜く成長力で、東アジアの敗戦国は、世界の経済大国に成り上がりました。
地道な製造業を主要産業として尊重してきた日本ですが、豊かになった日本人はもっと楽して儲けたいと目論みます。
バブル、それは読んで字のごとく泡となって弾けました。
バブルの崩壊とともにいよいよ日本の製造業も安泰とはいかなくなってきました。
2000年代に入ってからはかつては世界のブランドだった日本の一流家電メーカーも、海外のメーカーに追い抜かれ始めます。

何故でしょうか?
その大きな要因の一つは、日本は製造業を軽視するようになり、新興勢力は製造業に力を注いできたからです。
弱体化した日本のセキュリティホールを中国、台湾、韓国等が狙ってきたというイメージです。
かつての日本と同じように、新興勢力はその分野での先進国の技術をお手本にします。
技術を習得した新興勢力は、とりあえず同等(または見た目だけ同等)のものをより安く作り上げようとします。
はじめのうちは明らかに品質が劣るので、「安かろう悪かろう 上等!」という一部の顧客以外には受け入れられません。
しかし時間の経過とともに徐々に品質が向上してきて、ある一定のレベルに達すると本格的に世界市場に受け入れられるようになります。
その時点では、先進国の製品に比べてブランド力で劣るため本格的な脅威にはなっていませんが、さらに品質が安定してくると次第に新興勢力の製品もブランド力を持ち始めます。
こうなると後は先進国の製品を駆逐し始め、最終的に先進国の製品は価格競争に巻き込まれて、敗北するとその分野から撤退せざるを得なくなります。

確かに日本のメーカーが安い人件費を求めて海外に工場を作るのは仕方ありません。
しかし、海外で外国人が作ったものは、所詮海外製品と変わりありません。
日本のブランド名を冠した海外製品の輸入です。
いくら日本と同じ機械で日本人の技術指導の元で作った製品とはいえ、やっぱり日本で日本人が作ったものとクオリティに差が出てくるのは当然の帰結でしょう。
本来の日本ブランドが次々と消滅していくのは悲しい限りです。
本来の日本ブランドを下支えしてきたのが町工場なんです。
町工場の減少が結果的に日本の製造業をダメにしてしまうことにつながっていきます。

安かろう悪かろうではダメなんです。
クオリティを維持して、価格ではなく、品質で勝つ、それが筋ってもんです。
価格を下げないことがデフレ脱却と景気回復の一役を担うであろうことは火を見るより明らかです。


町工場の未来

従来のスタイルのままでのうのうと生き残っていけるほど、資本主義経済は甘くはありません。
元気な日本経済ならまだしも、今の日本経済では昔ながらの町工場をフォローしきれません。
町工場はどうすりゃいいのか?
新しいスタイルの町工場として再生していく他ありません。
昔ながらの町工場が抱えているマイナス要素を一つ一つ排除し、プラス要素に置換していくだけのことです。
ダメなところを取っ払って、新しい風を吹き込む。
旧車のレストアとおんなじです。
部分解体した昔ながらの町工場をまな板の上に置いて、好奇心、センス、経営哲学、IT技術、柔らかいアタマ等々、各種スパイスを振りかけたら、次世代の町工場の出来上がりです。
弊社 大三工業株式会社は1973年に東京都練馬区にて町工場として創業を開始しました。
その後、埼玉県所沢市に工場を新設して現在に至ります。
2014年に大三工業株式会社は脱皮を開始して、さなぎになりました。
そして2015年、ネオ町工場スタイル 大三工業株式会社 2015として羽化します。
進化を乞うご期待。


なお、この文章はコピペではありません。
よって、無断転用および転載を禁止させていただきますので、あしからずご了承ください。

参考文献:なし

ウィンドウを閉じる